これが私たちのブルーベリー栽培研究の始まりであった。その小さな苗木はその後の度重なる冷害にもかかわらず順調に成長し、2年後には可憐な花を着け、その生態を観察するとともに栽培法確立に向けて様々な試みを行なってきた。
1979年、一関市で行なわれた農学部公開講座において初めてその可能性を話す機会を得た。講座終了後、一関市厳見町本手寺地区の数十人の仲間が研究会を結成し栽培に取りかかることになった。岩手県初めての一般栽培のスタートであった。以後、試食会、学習会等を通して一般農家に栽培を呼び掛け、栽培地は岩手県各地のほか東北一円に広がっていった。また、1984年には第一回果樹園芸学公開講座としてブルーベリーを取り上げ、品種、栽培方法を学び、現地検討会を通して互いに交流する場を設けた。
このような取組の結果、1985年には岩手県の栽培面積が、導入された苗木の本数から推定して60baを越えるまでになった。しかし、生産量が増えるに従い価格が低下し、収穫に手間がかかることも相まって次々に産地が消えていった。私たちは試食会や料理を食べる会を催したり、市場を訪れて啓善活動行うなどの取組を行い、ブルーベリーの名を一般市民に浸透させようと努力してきた。一方で、自らの市場開拓によって着実に販売実績を伸ばす産地が出現したり、ブルーベリーワインが発売されるなど明るい兆しも現れてきた。
岩手のブルーベリーに大きな刺激を与えたのは1998年に岩手大学を会場に開催された日本母兼大会での即売会であった。用意した生臭や加工品は瞬く間に売り切れになり、予約注文の額が100万円を超え、潜在需要が如何に大きいかが示された。
現在、岩手県内のブルーベリー栽培面積は長野県に次ぐおおよそ25ha。この数字は1986年当時と比べて大幡な減少を示している。しかし、東北地方全体で見ると青森県12ha、山形県6ha、宮城県6.5haなど新しい産地が各所におこり、日本有数のブルーベリー生産圏を構成するに至った。
一方、需要は関係者の努力によってブルーベリーの名前が消費者に浸透してきたことから、真の特産果実として店頭を飾り、お中元商品として全国に発送されるようになった。
更に、健康食品として評価され、様々な製品が店頭を飾っている。それに伴って、品種や栽培方法さらには販売方法を再検討しなければならない時期に来ているように考えられる。また、23年間の試作や、一般栽培園の観察を通して多くの新しい事実が分かって来ている。さらに、数多くの有望な新品種が登場してきている。
以下、1990年の公開講座テキスト「ブルーベリー栽培と流通をめぐって」に再再加筆する形をとってブルーベリー栽培をもう一度見直し、併せて利用、流通に関わる問題を検討し、新しい道を考えたいと思う。